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そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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「タネを制する者は世界を制する」と言われています。ところが、もうすぐ制せられる恐れがあります。野口さんの本を読んだら、それを実感できると思います。多くの人たちが知らぬ間に、「タネの世界」が全く変わってしまっていたのです。

タネには、大きくは「固定種」と「F1種」という2種があります。「固定種」とは、その地域や気候に適応したもので、何世代にもわたって選抜・淘汰された野菜から採れた遺伝的に安定したタネのことです。

「固定種」を「単種」と呼ぶこともありますが、このタネから生育した野菜は、形が不均等で、生育が遅く、採れる時期もバラバラです。でも、味が良いのが特長だそうです。

F1種は、「雄性不稔」という花粉のできない突然変異の個体から作られているタネです。「雄性不稔」とは、つまりは動物にあてはまると「男性原因の不妊症」のことで、それゆえF1種から生育した野菜からタネは採れません。

一代限りのタネですから、農家は毎年のようにこのタネを買わねばなりません。
つまり、種苗会社に依存しないと作物が採れなくなってしまったのです。

しかし、「F1種」には扱いやすい特長があります。形が均質で、生育が早くて病気にも強く、一斉に収穫できます。ただし、味のほうは固定種に劣るようです。

子どもの頃に食べたホウレンソウはとてもうまかったという記憶がありますが、たぶん固定種です。根っこの赤いところが大きくて甘いんです。土がついていることがあるので、そこに十文字に切り込んで、「よく土を落とすように!」と、母から教えられました。

現在のホウレンソウは、まるで紙みたいだと言われています。F1種なのです。赤いところは甘くもありません。葉に味がありません。現在の主婦たちは、十文字に切り込みを入れることはなく、赤い根のところは捨ててしまっているようです。栄養が一番あるところなのに…。

このような「F1種」の特長が大量販売に適しているので、固定種は絶滅しそうになっています。高度成長期以降、「F1種」にとって替わられたのです。

現在、スーパーで売られている野菜のほとんどが「F1種」の作物です。
自家採種したタネを使うことが無くなってしまったのです。ところで、家庭菜園している方ならわかると思いうますが、タネ代が意外とかかります。

たとえば、ソラマメは、1袋840円で20粒ほど入っています。肥料代もかかりますから、天候不良で不作になると家計にとってマイナスになってしまいます。安い価格で売っているタネは、売れ残った質の良くないものなんだそうです。

ちなみに、我が屋で自家採種しているタネは、オクラ、ゴーヤ 大葉、エゴマ モロヘイヤくらいです。昨年に採種したケーナのタネを今年蒔きましたが、うまく生育するのか、それはわかりません。タネが採れるのかもわかりません。

さて、固定種が消え、F1種が席巻している昨今ですが、かてて加えて「遺伝子組み換え」という脅威が重くのしかかっています。そして、世界の種苗会社はどんどん遺伝子組み換え産業に乗っ取られているのです。

今日は世界食糧デーの日なんだそうです。タネは食糧問題にも直結していますが、今年は不作になりそうな予想が出ています。食糧価格が高騰するおそれがあります。

そうなったら無職で無収入の人たち、年金の額が少ない人たち、貧しい国の人々への影響は、どれほどになるのでしょうか。想像するだけで怖ろしくなります。

10月16日は世界食糧デー
http://www.worldfoodday-japan.net/hunger.html

世界的な食料危機への警鐘
レスター・ブラウン氏「あと一度の不作で世界は大混乱へ
」10/15
http://bit.ly/rjcptW

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石巻の手書き壁新聞、米博物館へ、被災直後から発行

http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/04/16/kiji/K20110416000638650.html

8af349aa.jpg石巻市にある「石巻日日新聞」が被災直後にフェルトペンの手書きで発行を続け避難所などに張り出していたみたいです。武内宏之常務によると、停電と浸水で編集、印刷設備が使えなくなったがロール紙は無事だった。
そこで被災した夜にろうそくの明かりの下で「ペンと紙があれば伝えられる。壁新聞で行こう」と社員と話し合った。壁新聞は電気の復旧まで6日間6カ所に張り出された。これは米ワシントンの報道博物館「ニュージアム」が譲り受けた。

    …………………………………………………………………

この人たちもジャーナリスト魂があると言えるでしょう。ただ、他のところで得た情報をそのまま流していただけならば、失礼かもしれないが、私はさほどに買わない。

事実を摑み、それを人々に知らせたり流すのがジャーナリストの務めです。しかし、「事実とは何か」という問題があります。

重大なことを隠してある特定の事実だけを流していたら、それを「事実だ」と知らせるのはジャーナリストのすることではありません。それは隠蔽に加担することです。

政府広報などを「記者クラブ」という特等席でのんびりと待ち受けて取り、適当な文にまとめて流しているというのが大勢です。

政府の言うことに疑いを持つ、隠していることを個々のジャーナリストが必死に探ったり、喰らい付くというくらいでないと、ジャーナリスト魂があるとは言えないでしょう。

また、どんな視点で切り込んでいくのか、どのような立ち居地から書くのかも重要なことです。

たとえば、権力者の立場に立って書くのか、弱者の視点に立つのか、子どもの目線に立って書くのか、主婦なのか、現場作業者の立場なのか、動物なのか…。

そういうところから、「事実」というものがそれぞれに変わってしまうのです。厳密に考えたら、報道の中立などあり得ないのです。なぜなら、全ての人たちが立ち位置を持っているからです。

しかも、立ち居地は変動しますからね。でも、自分の立ち居地さえ知らない、認知していない、変動したことさえ感じない人間が結構いるみたいで、困ったことです。

さらに、自分の立ち居地だけでなく、多層多角な視点を持てる
人でないと、ジャーナリスト魂があるとは考えられません。

さて、私自身はウォーターゲート事件で動いた記者のような人こそ、真のジャーナリストだと考えています。あるいはジュリアン・アサンジなのか、…まだ未定ですが。

(ちなみにウォーターゲート事件とは→
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%88%E4%BA%8B%E4%BB%B6 )

ご存知のようにウィキリークスのことは、震災や福島原発事故で吹っ飛んでしまいました。ウィキリークスのことを、「ハッカーで、ジャーナリストではない」と語っている人たちがいます。

隠されている事実を暴いているならば、それをジャーナリストでないとどうして言えるのか、私にはわかりません。また、命を懸けているように見受けられるので、ジャーナリスト魂はあるかもしれないと思うのですが…どうなんでしょう。

「情報を出すことこそがジャーナリスト、ハッカーかハッカーでないかは関係ない」と以下の本で語られている。

「日本人の知らないウィキリークス」(洋泉社刊)を就寝前に読んでいます。まだ数ページ残っていて、そこから先になかなか進みません。疲れてるのか直ぐに眠りに誘われます…。

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面白い文章が書けるようになりたいのですが、それはなかなかに難しいものですね。少しでも近づきたくて、友人たちに何か参考になるものはないかと尋ねると、「田辺聖子さんの本がよい」と言う。早速に読んでみたら面白いものが見つかりました。

「私は、世の中をみていて、このごろ思うに、「いい子」に恵まれるのも、マグレだと思えてきた。子が親にめぐり合うのも縁であるように、親が、自分と仲のよい子にめぐりあうのも、縁である。――私は、教育によって子どもが作られていく、とは、この頃思えなくなってきた。

人間の性格には、教育以前の持って生まれた矯めがたい心の闇があり、それが親と子と必ず相似形であるとはどうしても思えないのである」 

(ただし、転載先の書名がわかりません。メモするのを忘れ幾冊かの中のどの本だったのか不明、汗)


なお、しばしば使われている「心の闇」という言い方が気になります。理解できないので、「闇」と言っているのだろうとは思いますが、どうも嫌な言葉に、私からは見えます。

しかし、上記の田辺聖子さんの見方には賛同できます。なお、「矯(た)めがたい」は、矯正できないという意味ですが、エニア的に言うならば、「タイプ1に生まれたらタイプ2にはなることはできない」です。

タイプ1のように羞恥心が強い気質に生まれたら、タイプ2のようにほどほどの羞恥心にとか、または、厚顔になるべく矯正することは容易ではありません。また、「長女気質」の人が、「お母さん気質」に変わることもできません。

ちなみに、知り合いのタイプ1の女性が離婚して子どもを引き取りました。しかし、些細なことでも子どもに関することならば、元夫に電話して尋ねているそうです。

子どもは夫の子どもで、自分の子どもではない、というようなイメージです。「あなたの子どもを産んであげた」と口にしていたこともあります。また、このような考え方をする母親は、子どもタイプ(17634によくある傾向です。

タイプ1は子どもタイプの中では一番の年長型タイプです。しかし、親的な資質は少ないので、たとえ自分の実子であっても、夫から預かって育てているという感じになり、自分の一存で決められないみたいです。

ですから、精神的には母親になっていない、「その子どもにとっては“年長の姉”」という関係になってしまうのです。一体全体、どのような教育をすれば、このような親子関係を作り出すような人間になるのでしょうか?

子を産んだら、自然に母親になれる、というものでもないようです。自然に無理なく母性本能が備わってしまうタイプ(タイプ2の女性)もいますが…。

「教育」とは、その子が本来持っている長所とか能力を、活かしたり伸ばしていくものです。短所を無くすことはできず、気質(特長・性格タイプ)そのものを変えられるというものではない、と考えられます。

そして、「矯める」とは、この短所を無くすという意味であり、それは
「よい子」にさせるべく型にはめていこうとするもので、教育とは無縁のものだと思うのです。

親や教師にとっての「よい子」にするための矯正が教育だ、と、勘違いされているように思うのですが、あなたはどのように思われますか?

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アメリカは、1930年頃から世界大恐慌がはじまり、経済的な理由から双子が別々に育てられることがよくあったようです。それゆえか、一卵性双生児研究の結果がしばしば報告されています。

(ちなみに、日本もアメリカと同じ時期に恐慌があり、また戦争などから、一卵性双生児たちがよく別々に育てられていたみたいです)

興味深いので、『遺伝子は私たちをどこまで支配しているか』(新曜社)に載っているある事例をご紹介します。
「一卵性双生児が別々の家庭にひきとられた。どちらも中流家庭ではあるが、偶然なのかどちらもジェイムズと言う名前がつけられた。40年後に再会して、互いを知るうちに、あまりにも多くの類似点があるのを知って驚いてしまった。

些細な一致だが、あまり起こりえない一致もあった。どちらもラリーという義兄弟がいて、トーイという名の犬を飼っていた。二人とも、ビールはミラーライトを好み、タバコはセイラムを好んだ。

どちらもリンダという名の女性と結婚して離婚し、ベティという名の女性と再婚していた。一方は、長男をアランと名づけ、もう一方はアレンと名づけていた。どちらも改造カーレースに凝って、野球は嫌いだった。

どちらも10歳ごろに鼻かぜを引くと頭痛がして、そのうち偏頭痛に悩まされた。医師の症状所見もほとんど同じ。二人ともに数学の成績がよく、国語が苦手だった。

どちらも大工仕事が好きで、爪を嚙む癖も共通していた。しぐさや言い方が似ている。スラングの使い方も似ていた。ほぼ同じ時期に急に体重が5キロ増えた。

二人が再会する前は、二人ともにさまざまなストレスに悩まされ、胸痛と高血圧が持病だった。どちらも不眠症で、神経質で、精神安定剤を服用していた。二人は事務職に就いていた。それぞれ警察の仕事に魅力を感じ、ボランティアで町の保安官のアシスタントを務めていたことがある」

なお、あまりにも不自然なので疑われると思ったのでしょう。次ぎのような断り書きさえ載っています。
「この事例は本当にあったことで逸話ではない。十分に調査され、裏づけられている何百という事例の一つである」

最後に、同じく偶然の成せる技というか、取り上げたいことがあります。なぜなら、エニアグラムタイプが同じだと、名前が同じ、という事例が多くはないが有るからです。上記のような事例にもありますが、名前は親がつけているんですから、どう考えたって不思議ですよね。

一つ例を挙げます。たとえば、「かずき」という名前は、タイプ4の男性によく見かけます。ただ、漢字はそれぞれに違います。それで、姓だけでなく、フルネイムを教えて欲しいと言うことがよくあります。

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IQテストの成績の個人差が遺伝しうるという証拠も増えているようです。

『遺伝子は私たちをどこまで支配しているか』(新曜社)によると、
「IQテストの成績への遺伝的影響が年齢とともに大きくなる。子ども時代の共有環境の影響が、IQテストの成績の個人差をほんの部分的にしか説明しない」とあります。

つまり、「氏より育ち」ではなく、「育ちより氏だ」ったわけです。また、
「コロラド養子研究」によると、一卵性双生児などを長期にわたって追跡調査してみてわかったのは、子どもが低年齢の場合のみ、家庭や学校などが同じであれば、そこからの影響がわずかながら見られた。しかし、10代になってしまうと、影響はほとんどなくなる」

前回、「性格」に関してご紹介したものも、これと同じでした。
「それどころか、性格よりも、IQテストのほうが遺伝的影響のほうが強い」とあります。

一般に、「性格」よりも、「知能」のほうが、養育環境の影響が強いと思われています。それなのに、その逆だったわけです。(ちなみに、私自身の持論では、そのどちらも、養育環境からの影響は少ないと考えています)

ただ、
養育環境によっては、「知的発達を妨げることはできる」というのです。たとえば、何年間も部屋にひとりで閉じ込もるなどであれば、当然に知的発達は妨げられるのは予想できます。

さらに、
「うまれ持った知的能力を引き出すことはできるが、それらの能力を根本から変えることはできない」と、キッパリ。

これはよく理解できるものですよね。生まれ持った知能を引き出すためには、家庭環境や学校の環境や、その他の文化環境に恵まれていることが大切だろうと思います。

でも、どんなに良い環境に恵まれていても、本人の意志如何です。学ぶ気持ちが強いとか、より成長したいという意志がなければ、どうにもなりません。また、学ぶ人は勝手に学びますから。

先月、亡くなられた森毅さんは、「エリートは育てるもんやない、勝手に育つもんや」という教育持論を持っていたみたいです。でも、私は、「面白くなくては、学ばない」というのが持論です。

幸いにして、当会のエニアグラム講座は、面白い! と、受講生たちから支持を受けています。でも、面白くとも、「学べば学ぶほど難しくなる」と、よく言われています。




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「氏(うじ)か育ちか」という論争はよく起きます。英語でも、「nature or nurture」という表現があります。

性格というものは、生まれながら持っているもの、つまりは遺伝子(氏・nature)によるものなのか、それは養育環境(育ち・nurture)によって違ってくるものなのか、というものです。このことは、みな関心が高いようで、とかくイデオロギー論争になってしまう傾向があります。

ご存知のように、一卵性双生児はいわばクローンですから、ゲノムはみな同じです。もしも養育環境の影響が大きいということなら、一卵性双生児が別々の家庭で養育されて成人したら違いが大きくなります。同じ家庭で育てられたならば、違いは小さいってことになります。

これまで良識派と言われていた人たちは、どちらも大きく当人に影響を与えるので、「五分五分だろう」というものでした。

ところが、最近の遺伝子研究からは、どうもそうではないらしいという方向になりつつあるようです。『遺伝子は私たちをどこまで支配しているか』(新曜社)のなかに、一卵性双生児に関する研究調査の結果が詳しく載っています。
 
一卵性双生児が別々に生活している時間が長ければ長いほど、互いに似なくなってゆくと予想されます。この本に記されているのは、
「性格検査の類似や一致は、80歳や90歳になってもほとんど変化しない」とあります。

また、
「一卵性双生児は一緒に育った場合でも別々に育った場合でも、歳をとるほどによく似るようになるという検査結果さえある」

多くの研究結果が示していることは、
「共有の家庭環境は子どもの性格形成にほんの小さな影響しかおよぼさない」ということです。それじゃあ、わが子の性格を何とかなおしたい、などと思っている親がいますが、努力しても報われないってことになりますよね。

また、
「10歳以前であれば、共有の家庭環境の影響が小さいながら見られる。周囲の人々とうまくやってゆくための方法として、親や兄弟姉妹、近所の仲間をまねる傾向があるからである。しかし、思春期を過ぎ家を離れると、ほとんど完全に消え去ってしまう。一緒に育った兄弟姉妹が似ているとしたら、その大部分は家庭環境というよりは、共有している遺伝的性質によるものであるようにみえる」

まさに、性格は変わるように見えますが、変わるとしたら、それはタイプ7内での変化に過ぎません。タイプ7で生まれたら一生タイプ7です。タイプ7がタイプ5に変わることも、タイプ6に変わることもありません。

ですから、当会では「性格」とは呼ばず、「気質」にしています。また、「性格」が養育環境によって大きく変わるものならば、タイプ判定というものはできません。どんな環境にいる人であっても、その人の「気質」がくっきりと出ているので、タイプを見抜くことができるのですから。

なお、この本の考え方は、実は私が元々そう感じていたことなのですが、単に感じていただけに過ぎません。しかし、こうして自分の考え方と一致できる書物と出会えたのですから、長生き? はするものですね。
 
まだ年寄りだと思っていませんが、40歳まで生きれば充分だと思っていましたから…。おまけの人生を過ごしているわけです。

でも、上記にもあるように、近頃はよけいに、私がより私らしくなっているという感じがしています。青年期のほうが自分を抑圧したり自分らしくいられず無理していたように思われます。


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久しぶりに、本多勝一さんの著書、「俺が子どもだったころ」を読みました。30代の頃はこの人の文章ならばなんでも読むというくらいに夢中でした。でも、どうしてだが熱が引いたみたいに読まなくなってしまった…。

勝一さんは元朝日新聞の記者で、現在は80歳くらいです。数々の探検もののルポルタージュをヒットさせています。ニューギニア高地人のルポなどは、お腹が痛くなるほど笑いこけました。

ところで、この本の中に、彼の子どもの頃のあだ名が「オイベッサマ」だと書かれています。生まれた長野県の伊那では、エビス様のことをオイベッサマというらしい。

「えくぼは太っている事と関連する。えくぼは太っている児童のほうが大きく深くなるのだ。しかも、育てられ方が性善説だったから、他人は基本的に親切でやさしい人ばかりで、したがって近寄ってくる人にはたいてい笑顔で応ずるので、ますますえくぼが目立つ結果になった」

彼が小学校に通い出した頃に、伯父が言ったという。「こりゃあ騙されそうな顔だなーアッハハハ」 エビスさまのような人のよさそうな顔つきだったのでしょう。

でも、滋賀県に住んでいた頃、講演会があり、素顔を見ることができましたが、早口で物静かでクールという印象が強い人でした。人が良さそうという印象ではありません。素顔を見せない人ですが、地方の小さな講演会なので依頼を受けたみたいです。

ところで、本多勝一さんはエニアを知った当初からタイプ2と判定していました。図らずも「育てられ方が性善説だったから…」とあり、おもわず笑ってしまいました。

ウイングは判定していなかったのですが、愛想がよかったみたいなので、ウイング1のほうになるでしょう。

親切でやさしい人ばかりに囲まれていても、近寄ってくる人がいたら警戒する人がいます。万が一ということもあり、引いてしまう人もいます。硬くなってしまう子どももいます。

第一、「親切でやさしい人ばかりに囲まれている」という捉え方を、みながみなするものではありません。それも勝手な解釈です。元々に性善説的な行動パターンを取るような気質に生まれたというに過ぎません。

人はみな、自分の現在がそうあるのは、そういう育てられ方をしたからだと、その根拠を求めたがります。でも、育てられ方の影響はむろんありますが、エニアタイプは終生揺るがず、死ぬまで続くものです。


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鶴見俊輔の名を知ったのは20代後半でしたが、著書を手にしたものの難解そうなので結局読み流しただけで何一つ覚えていません。

改めて読んだのは、「ひとが生まれる五人の日本人の肖像」を読んでからで、本格的に彼に関心を持つようになりましたが、あまりにも多作です。なかなか読みきれるものではありません。

その本は、「ちくま少年図書館」というジュニア向けで、筑摩書房から出ています。どの本も読みやすく、かなり熱中して読みました。子どもや少年向けの本は、たいてい真摯に誠実に向き合ってかかれたものが多いように感じます。

さて、姉の鶴見和子の著作は読みやすくてお薦めですが、どの本がよいと選べません。それでもと言えば、「殺されたもののゆくえわたしの民俗学ノート』(はる書房)です。

また、従兄弟にあたる鶴見良行の著作「バナナと日本人」(岩波新書)は、アジア問題に関心を持った頃で、友人たちと回し読みしたという珍しい体験をしています。そんな流れから、とうとうフィリピンへの旅も挙行してしまいました。

この鶴見一族の3人のエニアタイプはみな同じタイプ2w1と判定しています。一週間前に、たまたまウィキペディアを覗いたら、なんと!  判定結果を補強してくれるような情報が見つかりました。

弟の俊輔が姉に関して、「和子はおやじを非常に愛していた。率直に言って、生涯で一番愛した男なんだ…、と述べている」という記事です。


タイプ2は「父親を強く意識するタイプ261」で、父親大好きにもなるが大嫌いにもなる可能性がある、いわばファザコン型タイプです。上記のことを知ると、鶴見和子さんは尊敬できる父親を持たれたようで幸せな娘だったと言えるのではないでしょうか。3年ほど前に逝去されています。

しかし、鶴見良行さんのほうは、「(自分の)父親の日記に、“結局、良行は、和子、俊輔に及ばず”と書かれていたので、“自分の方が問題にならないほど高い業績を挙げているのを親父はわかっていなかった”と激怒したといわれる」と掲載されている。

どのタイプでも、親から他の子たちと比較されるなど我慢できないことです。しかし、とりわけタイプ2は、父親にとっての第一の存在になりたがります。父親から褒められたい、「よくやったと言われたい」という欲求の強い気質ですから、彼の怒りは強かっただろうと予想できます。

ところで、「ちくま少年図書館」は、今思い出しても懐かしく、狭い世界から私を引っ張り出してくれた本と言えます。たぶん、図書館や学校図書などに、現在でも残っていると思われます。ぜひにと若い方にお勧めしたいものばかりです。

なお、「ゲゲゲの女房」という連ドラが放映されているみたいですが、水木しげるの、「のんのんばあとオレ」は、抱腹絶倒ものでした。これもこのシリーズにあります。また、鶴見良行さんの本もあり、以前にご紹介している日高敏隆さんの著書もあります。

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幕末から明治維新の頃ならば、小説や映画やテレビの時代劇などから、一般によく知られています。話題にもよくなります。

がしかし、大正時代のことは知られていないだけでなく、話題にもならないことが多いのではないでしょうか。


中勘助の「銀の匙さじ」の後編の一部を以下に転載しています。これは大正2年(1913)に書かれ、大正4年の4月から朝日新聞に連載されたものです。

戦争(日露戦争)が始まって以来、仲間の話は朝から晩まで大和魂でもちきっている。私はそれを心から苦々しく不愉快なことに思った。先生はのべつ幕なしに元寇と朝鮮征伐の話しばかりする。…中略…私は彼らの攻撃をひとりでひきうけながら、きっと負ける、きっと負ける、と言い切った。

先生はれいのしたり顔で、“日本人には大和魂がある”といって、いつものとおり支那人(中国人)のことをなんのかのと口ぎたなく罵った。

私は自分が言われたように腹にすえかねて、“先生、日本人には大和魂があれば、支那人には支那魂があるでしょう。日本に加藤清正や北条時宗がいれば、支那にだって関羽や張飛がいるじゃありませんか!”

“それに先生はいつかも謙信が信玄に塩を贈った話をして敵を憐れむのが武士道だなんて教えておきながら、なんだって、そんな支那人の悪口ばかし言うんです!”


ここからわかることは、中勘助は大正2年頃に、反戦らしきことを小説で説いているとも考えられます。そして、朝日新聞もそれを連載していたのですから…、なんというか驚きました。

太平洋戦争がはじまる頃(1941)であれば、朝日新聞だけでなく他の新聞社も、このような小説を載せたりはしなかったでしょう。

この小説を読んで、大正時代のイメージが変わりました。また、こんなに気骨のある人もいたのかと…、少数派だと思いますが。というより、めったにお目にかかれない人かもしれません。

周囲にいる人たちのほとんどが興奮しており、好戦的で愛国的になっている折に、一人だけ異をとなえることは大変な勇気が要ります。少年たちに“勇気を持って!”と説いているように、私からはみえます。

ついでながら、我が家から車で40分くらいのところに、「大正村」があります。人気がないのか、ちょっと寂れています。

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/3に、中勘助という作家が、夏目漱石のことを「可愛らしい顔だった」と書き残している文をご紹介しています。漱石の教え子だった勘助が著した「銀の匙さじ」という小説を10代の頃に読んでいます。

旧字とか旧仮名が多くて読みづらいもので、あまり記憶に残っていないのですが、何気なく再読してみたら、面白くて仕事も放りだして一気に読了してしまいました。

中勘助のエニアタイプは予想通りのタイプは2w1でした。ところで、勘助さんから見た漱石は、可愛らしく見えたようですが、他の人からはそのように見えなかったかもしれません。

ですが、タイプ2からは、
タイプ4は可愛らしい人に見えることがあります。よく友だちになっていたり、親友になることも多いようです。

なぜならば、「お母さん・2」からは、「末っ子・4」は可愛らしく見えるのではないでしょうか。「長女・1」や「長男・7」よりも、そうなってしかるべきです。また、タイプ4の生徒ならば、タイプ4の教師・夏目漱石を可愛らしいと感じることはなかっただろうと…。

ところで、「銀の匙」は1913年(大正2年)に、朝日新聞に連載された小説です。夏目漱石が絶賛していたようです。延々と子どもの世界を描写しているだけなんですが、なんというか凄~い豊饒な世界で、圧倒されてしまいました。

彼は1885年(明治18年)生まれですが、自身の子どもの頃の遊びをそのまんま書き出したと考えられます。比べると、現代の子どもたちの世界は貧弱で薄っぺらで、情けないほど想像力が欠如していると考えざるを得ません。

この百年間で私たちが失ってしまったものが、どれほどのものだったのかと思い知らされます。ぜひともとお薦めしたい本です。以下の箇所は、そういうことなのか、驚きつつも妙に納得してしまい面白くも感じたので、少し転載しました。

なお、作者がタイプ2w1で短気ですから、癇癪もちの子どもたちがよく登場しよくケンカもします。でも、すぐにケロリとして尾を引きません。小学校の担任の先生も癇癪もちで、「カッとすると教鞭でぐらぐらするほど人の頭をぶったりした」とあります。

「それでも私は先生が大好きで…」などと主人公に言わしめています。「みんなの行
儀が悪いので、れいの癇癪がおこって先生の顔が火の玉みたいになると、生徒たちは縮みあがって鳴りをしずめてしまう」

ところが「私は平気のへいざで笑いながらみているので、見回りに来た校長さんが面白そうにしている私に“先生が怖くないか”ときいた。“いいえ、ちぃっとも”と私は答えた」

「“なぜ怖くない” “先生だってやっぱり人間だと思うから” 二人(担任と校長)は顔を見合せて苦笑いしたきりなんともいわなかった」

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竜頭 万里子 (りゅうとう まりこ)
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