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そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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幕末から明治維新の頃ならば、小説や映画やテレビの時代劇などから、一般によく知られています。話題にもよくなります。

がしかし、大正時代のことは知られていないだけでなく、話題にもならないことが多いのではないでしょうか。


中勘助の「銀の匙さじ」の後編の一部を以下に転載しています。これは大正2年(1913)に書かれ、大正4年の4月から朝日新聞に連載されたものです。

戦争(日露戦争)が始まって以来、仲間の話は朝から晩まで大和魂でもちきっている。私はそれを心から苦々しく不愉快なことに思った。先生はのべつ幕なしに元寇と朝鮮征伐の話しばかりする。…中略…私は彼らの攻撃をひとりでひきうけながら、きっと負ける、きっと負ける、と言い切った。

先生はれいのしたり顔で、“日本人には大和魂がある”といって、いつものとおり支那人(中国人)のことをなんのかのと口ぎたなく罵った。

私は自分が言われたように腹にすえかねて、“先生、日本人には大和魂があれば、支那人には支那魂があるでしょう。日本に加藤清正や北条時宗がいれば、支那にだって関羽や張飛がいるじゃありませんか!”

“それに先生はいつかも謙信が信玄に塩を贈った話をして敵を憐れむのが武士道だなんて教えておきながら、なんだって、そんな支那人の悪口ばかし言うんです!”


ここからわかることは、中勘助は大正2年頃に、反戦らしきことを小説で説いているとも考えられます。そして、朝日新聞もそれを連載していたのですから…、なんというか驚きました。

太平洋戦争がはじまる頃(1941)であれば、朝日新聞だけでなく他の新聞社も、このような小説を載せたりはしなかったでしょう。

この小説を読んで、大正時代のイメージが変わりました。また、こんなに気骨のある人もいたのかと…、少数派だと思いますが。というより、めったにお目にかかれない人かもしれません。

周囲にいる人たちのほとんどが興奮しており、好戦的で愛国的になっている折に、一人だけ異をとなえることは大変な勇気が要ります。少年たちに“勇気を持って!”と説いているように、私からはみえます。

ついでながら、我が家から車で40分くらいのところに、「大正村」があります。人気がないのか、ちょっと寂れています。

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