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そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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面白い文章が書けるようになりたいのですが、それはなかなかに難しいものですね。少しでも近づきたくて、友人たちに何か参考になるものはないかと尋ねると、「田辺聖子さんの本がよい」と言う。早速に読んでみたら面白いものが見つかりました。

「私は、世の中をみていて、このごろ思うに、「いい子」に恵まれるのも、マグレだと思えてきた。子が親にめぐり合うのも縁であるように、親が、自分と仲のよい子にめぐりあうのも、縁である。――私は、教育によって子どもが作られていく、とは、この頃思えなくなってきた。

人間の性格には、教育以前の持って生まれた矯めがたい心の闇があり、それが親と子と必ず相似形であるとはどうしても思えないのである」 

(ただし、転載先の書名がわかりません。メモするのを忘れ幾冊かの中のどの本だったのか不明、汗)


なお、しばしば使われている「心の闇」という言い方が気になります。理解できないので、「闇」と言っているのだろうとは思いますが、どうも嫌な言葉に、私からは見えます。

しかし、上記の田辺聖子さんの見方には賛同できます。なお、「矯(た)めがたい」は、矯正できないという意味ですが、エニア的に言うならば、「タイプ1に生まれたらタイプ2にはなることはできない」です。

タイプ1のように羞恥心が強い気質に生まれたら、タイプ2のようにほどほどの羞恥心にとか、または、厚顔になるべく矯正することは容易ではありません。また、「長女気質」の人が、「お母さん気質」に変わることもできません。

ちなみに、知り合いのタイプ1の女性が離婚して子どもを引き取りました。しかし、些細なことでも子どもに関することならば、元夫に電話して尋ねているそうです。

子どもは夫の子どもで、自分の子どもではない、というようなイメージです。「あなたの子どもを産んであげた」と口にしていたこともあります。また、このような考え方をする母親は、子どもタイプ(17634によくある傾向です。

タイプ1は子どもタイプの中では一番の年長型タイプです。しかし、親的な資質は少ないので、たとえ自分の実子であっても、夫から預かって育てているという感じになり、自分の一存で決められないみたいです。

ですから、精神的には母親になっていない、「その子どもにとっては“年長の姉”」という関係になってしまうのです。一体全体、どのような教育をすれば、このような親子関係を作り出すような人間になるのでしょうか?

子を産んだら、自然に母親になれる、というものでもないようです。自然に無理なく母性本能が備わってしまうタイプ(タイプ2の女性)もいますが…。

「教育」とは、その子が本来持っている長所とか能力を、活かしたり伸ばしていくものです。短所を無くすことはできず、気質(特長・性格タイプ)そのものを変えられるというものではない、と考えられます。

そして、「矯める」とは、この短所を無くすという意味であり、それは
「よい子」にさせるべく型にはめていこうとするもので、教育とは無縁のものだと思うのです。

親や教師にとっての「よい子」にするための矯正が教育だ、と、勘違いされているように思うのですが、あなたはどのように思われますか?

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