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そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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 テレビドラマ「おしん」は、1983年4月にはじまり1984年3月で終了しています。「自虐の歌」のほうは1984年末に始まり、1990年7月に終了しました。
 時期的にみれば、業田さんに影響を与えた可能性はあると考えることもできます。


 おしんは逆境にもめげずに、決してあきらめず勤勉に生きた女性で、それなりの社会的な地位を得ており、成功者と言えるでしょう。そして、おしんの勤勉な姿に共感する人たちが多かったので、大ヒットしたのではと考えられます。

 でも、おしん自身は、他の人にいじわるしたりしません。嘘をつかず、いつも自分が正しいと思ったことをして、いわば良い子をしていて、優等生的な振舞い方をしていると考えられます。

 しかし、いじわるされた場面を細かく描写して、嫁姑との確執なども丁寧に描いていますから、ドラマを全体的に眺めるとドロドロとして、どこかベッタリと重い感じがします。

 一方、幸江のほうも、辛いことひどい事がテンコ盛りです。幸江さんもそれなりに健気に勤勉に生きていますが、ちょっと要領よいところがあり、嘘もつきます。

 しかしながら、全体を見ると淡々としてカラリと乾いているという印象が残ります。ギャグ漫画なので、当然にドロドロというものになり得ないのですが。
 
 こちらのクライマックスは、父親が銀行強盗をして捕まるところです。当然、幸江はそこに居られなくなって、高校卒業後すぐに故郷を離れて上京します。その後も、幸江は運が悪いらしく、落ちるところまで落ちてしまったのですから、優等生的とは言えません。

 イサオと出会って、ようやく幸せをつかむのですが、それでもイサオは遊び人で、生活は楽にはなりません。健気でも勤勉でも、成功者になれないようです。

 そこが、二つの物語の大きな違いです。そして、おしんを見ると、努力することが大切なんだと、そうすれば悔いない人生がおくれると言っているようにみえます。

 一方、幸江さんの苦労はずっと続きそうな感じがします。努力しても得られないものがあるんだよと教えてくれているように見えます。

 でも、幸江は、幸せの見つけ方を知っているようで、幸せは獲得するものではないのだよと教えてくれているように、私からは見えます。

 このように比較すると、「自虐の歌」は、「おしん」があるからこそ生まれ出た作品で、「反おしん」のような作品なのではないかと思われるのです。

 なお、世界は否定的で戦場のようなところだと思い込んでいるタイプ7にとっては、タイプ2の作品はどこか眉唾な感じがするのではないかと予想します。

 現実はそんなんじゃないだろうとか、いい子ぶるなと言いたくなるのではと予想するのです。
また、偽善的で欺瞞的にも見えているのかもしれません。 

 それで、おしんのパロディみたいなキャラクターを思いついたのではないかと…、密かに…、そうに違いない…、たぶん…、などと思っているのでございます。(連ドラのナレーターになっているつもり)

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