そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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人との繋がりが薄れていると言われてから、随分と年月が経っていますが、豊中で60代の姉妹が餓死したというニュースはショックでした。

誰ひとり姉妹のことを知らずにいたようです。この事件から孤独な暮らしぶりが浮かび上がります。
でも、家族に囲まれていても、孤独にさいなまれている人もいますから。

昨年末にJR取手駅で、バスに包丁をもって乱入した男性(27歳)も、父親と暮らしていたようですが、父親には理解されず会話もなく、孤独だったかもしれないと想像します。

昨日のアメリカからのニュースも同じケースかもしれません。アリゾナ州トゥーソンで約20人が死傷した銃乱射事件で逮捕された青年(22歳)です。近所の人が、全く人とつきあわない人だみたいなことを語っていました。

どうしたら、人とのゆるやかで気持ちよい繋がりを作り出せるのでしょうか…。幾度となく自問しても何も思いつかないままで、月日だけは無情に経っていく…。

ところで、いつも散歩している途中に寺があり、そこには親鸞の石像があり、そこに書かれている言葉を毎回のように読んでいます。

ひとり居て喜ばは、ふたり居ると思うべし
ふたり居て喜ばは、三人(みたり)居ると思うべし
その一人は親鸞なり

親鸞が亡くなった弘長2年(13世紀)に書かれた遺言だと言われていますが、最近の研究では発言者不詳の言葉だという説もあります。(ちなみに親鸞はタイプ2と予想)

「君のそばには、目には見えないが、いつも誰かが見守ってくれている」というのです。でも、よく似た言い方が他にも古くからあります。

四国などをめぐる巡礼者たちも、「同行二人(どうぎょうににん)」と言います。いつも弘法大師さまの存在をそばに感じて、二人で一緒に旅している、というものです。


信仰心が強いと孤独感が無くなるかもしれないと思うのです。私自身はまるで信仰心がなく、お寺に行っても、神社に年賀の参拝をする時も、手を合わせず、後ろから家族が祈っているところを見守っているだけです。

おみくじを買って開くことを楽しみにしても、大吉が出てもさほどうれしくないのにです。
きっと死後は地獄に落ちるのではないでしょうか。

でも、孤独感を癒してくれるもの、前向きに生きられるように導いてくれるのが、信仰することの真の意味なのかもしれない、と考えることはあります。


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