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そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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父から暴力を受けたのに、「ころんだ」とか、「階段から落ちた」などと答える子がいます。親から、「家で起きたことは他人に言うな」と強要されてもいないのにです。

子どもが家庭内のことを他人に訴えないことはよくあります。ネットで探すと、「6歳、捨てられても叩かれても母をかばった」という埼玉で起きた事件が見つかりました。

2008年8月のニュースです。民家で3月、幼児3人が置き去りにされ、長男(当時2)が死亡、双子の長女が負傷した事件で、母親は保護責任者遺棄致死傷の罪に問われました。

家族たちの多くは、第三者が要る場では、赤裸々になりにくいものです。本音を出さないのです。また、子どもの場合は、親のことが怖くて話さないのです。

ところが、そうとは予想せず、帰宅してしまう学校の先生や、民生委員とか児童相談所の担当者たちがいます。ちょっとでも怪しいと感じたら、本人に尋ねるだけでなく、秘密裏に調べてみるべきではないでしょうか。

そういう確認作業を幾度もしないために、事態が深刻になってしまったケースがかなりあると考えられます。

このお話を講座で話すと、ある受講生から、「親に恥をかかせたくないので、言わなかったのか?」と質問されました。
 
ある少年事件の裁判での証言にもありました。「Aの口調は反抗的ではなく、私(担任)がいることで、親に恥をかかせたくない様子がうかがえ、恥ずかしそうに父親に言っていました」というものです。

ところが、これは担任の解釈に過ぎません。でも、それを解釈だとは考えず、事実だと思ってしまう人たちは少なくありません。前で取り上げたニュースのタイトルも、「母をかばった」となっています。本当にかばったのでしょうか? 

子どもは狭い世界しか知りません。児童保護法があるなんて知りません。親に食べさせてもらったことしかなく、親と寝起をともにしているのですから、その親の機嫌を損ねては大変なことになります。恐怖がそのように言わしめているだけではないかと。

これも、記者の解釈に過ぎない可能性があると考えます。事実を知らせるのがジャーナリストの大切な仕事なのに、どうも、そうはなっていないことがあります。違う解釈もできるのですから、それを知ってほしいと思います。

たとえば、「そんな父のことを恥じていた」ので事実を言えなかったという子もいます。また
「他の人々から否定的なことで注目を浴びていること(自分)が恥ずかしいので言えなかった」「他人に知られることが恥ずかしい」などです。

「恥意識」といってもいろいろに違いがあります。なにを恥ずかしいと感じるのかが違うのです。ちなみに、「父に恥をかかせたくないから言わなかった」と解釈した受講生たちは、タイプ2でした。それ以外のものは、タイプ4とタイプ7の受講生たちでした。

なお、「父親に恥をかかせたくない」は、父という他者への配慮です。後者は、そんな父であることを恥じる、または、そんな父を持つ自分の境遇を恥じており、それを他人に知られることを恥じているのです。

この違いがわかるでしょうか。わかりやすいとも言えるのに、なんだか わかりにくい!と思ってしまうんですが、どうなんでしょう?


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