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そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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 「錯視」という現象にすっかり魅せられてしまい、ついに自分で錯視画を描いてしまいました。生まれて初めての試作品なので巧いとは到底言えません。もう少し動きをハッキリと出したいのですが、これが難しいのです。
       d906d6be.jpg
                    





 「錯視
1」の作品は
静止画であるはずなのに、フニュ!と少 し上下に動いてみえます。拡大してみれば(クリックすれば拡大になります)わかると思いますが、同じ図柄が連続していません。一部を変えているのです。このような錯覚をするのは、脳のほうが、全部同じ図柄だと認識したいからではないでしょうか。しかし、実際の図柄は違うので、そこで認識したいものと整合させようと働き、それで動いているように見えてしまうのではないかと‥。

 実は、「錯視」という現象はまだ正確に説明できないみたいです。視覚のほうに問題があるのではなく、脳の情報処理の仕方に問題があることはわかっているのですが。


 ところで、「錯覚」というものも結構、しばしば普通に起きているものです。たとえば、読みちがいです。エニアグラム講座では新聞記事などを切り抜いて、それを受講生に読んでもらうことがあります。すると、読みまちがいをする人が結構います。たとえば、「訓練」と書いてあるところを「練習」と読みちがうのです。その場合、数分前にどこかで「練習」という言葉を使っていたとか、さっき見た記事に「野球部の練習日程」とあった等々。

 聞きまちがいもたくさんにあり、「空耳」という錯覚もまだ解明されていないみたいです。たとえば、「○さんはタイプ9です」と回答していたのですがいつのまにか「○さんはタイプ4ですと竜頭さんが答えていた」ということになってしまうのです。これには困惑しています。
 
 「錯視」も見まちがえですが、見まちがえて自分の中で何かが変色してしまうのです。そして、「思い出」というものも、よく変色してしまうものではないでしょうか。さながら古い写真がセピア色に変わってしまうようなものです。たとえば、自分のタイプを知りたい時は、子どもの頃の思い出を書き出す人がいますが、タイプを知るためのよい情報ではないことが多いんです。

 「自分を知る」ことは大変に困難なことの一つです。なにしろ脳の情報処理の仕方そのものに問題があるのですから‥。主人の許しを得ることもなく、勝手に脳が動き出して情報処理してしまうことがあると思うのです。それで自己像がゆがんでしまうのです。「妄想」もその一つで、妄想を「事実」だ思い込んでしまうのはよくあることです。本当に「自分」というものほど信用できないものはない、と私などは思っています。

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竜頭 万里子 (りゅうとう まりこ)
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