忍者ブログ
そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
[2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

『宮沢賢治の肖像』(青字)には、エピソードが満載で、ここに取り上げられないくらいです。で、少し転載させてもらいました。

①宮沢さんとソバを食べての帰り道で、八百屋でリンゴ5つ買い、私にも食べなさいとよこす。私は「少なくとも教員者のハシクレである物がリンゴを食べながら町は歩けません」と答える。宮沢さんは「われわれという者は、タカが知れたものですよ。われわれがどの程度の人間か、町の人はちゃんと解っているから、大したことではありません」というのでした。花巻の目ぬきの大通りで、私も仕方なくリンゴをかじりましたが、じろじろ見られるのがとても辛くて、リンゴが胸につかえて…p57

リンゴをかじりながら町を歩くなど、今なら話題にもならないが当時は違ったようです。なお、「リンゴが胸につかえた」という人物もタイプ2w1らしい。同じ時代に生まれた同じタイプで、同じ地域に住み同い年であっても、羞恥心の強さは違っています。

②著書の森さんが語っているものです。「宮沢さんとは宗教的に同行できなくて…、おそろしくて深くつき合うこともできないような気持ちになりましたが、女房なんかを世話してくれて、私を世間並の人にしてくれた」…p57

③宮沢さんには、どんな暴力団にも負けないという威力がありました。賢治は花巻でも名を知られた者が、豊沢橋の上でケンカしているのを仲裁したことがあった。p60

④本なしで授業をはじめます。ぶったまげたものです。「本を忘れてきたが、昨日はどこまでだった」と、生徒に尋ねるのです。教科書をみないで昨日の続きからはじめます。どういうアタマだったのですかね。p68

同僚が語る→宮沢さんは春画の名作をしょっちゅう持ってきました。それをみんなで鑑賞した。p82

⑥宮沢さんはダルマぐつで生徒が掃除した廊下を歩いたり、窓を超えて職員室に入ったりすると、校長から「君、それはいけないじゃないか」と止める。私も真似して出たり入ったり。p85

それにしても賢治の羞恥心の無さは凄いです。間違いなく羞恥心度が少ないタイプ(825)と絞れます。数々のエピソードを知ると自信家ゆえのような気がします。

ちなみに、タイプ4の友人と二人で旅したことがあります。町の中心地でしたが、夕方なのに車も人通りもなくて、私は横断歩道ではないところや車道などを斜めに渡って、早く目的地に着こうとしていました。

すると、「ここは通ってはいけないところだよ」と、静かに諭すように告げられてしまいました。「えっ、こんな場合でも交通ルールを守れっていうの?」と、心の中で思いつつも反論はしませんでした。真面目度が最も強いタイプ(714)と絞れますが、羞恥心度も強い人たちですから。

これまで宮沢賢治作品は少し読んだくらいで、それで惹かれたこともないのですが、ここまで来ると、その人柄に魅力を感じるようになってきました。家族思いで、寛容、鷹揚で、堂々と、サバサバとした人柄みたいです。

生家は質屋で古着商で、経済的には裕福で恵まれています。家族は祖父母と両親、兄弟姉妹5人の9人家族で、賢さんは長男です。宮沢家は羨ましいほどにみな仲良しのようです。

やかまし屋の頑固オヤジが一人いますが、家族愛はくっきり見えます。世に認められることなく亡くなったからなのか、なぜか不幸な境遇の人だったというイメージがあったのですが、まるで違っていました。

「賢治と母と兄弟だけが家にいて、賢治が何か話し始めると、父のいないときはいつでもたちまち、おかしげな、ふざけたような話になってしまう。そのふざけかたが、これでもかというように、だんだん輪をかけてくる。そしておしまいには、みんな笑いがとまらず、はてはおなかの筋肉が硬くなって痛くなり、両手で押さえ目からは涙が出て、やめてやめてと口ぐちにいうのであった」p254

なお、賢治さんは1896年8月の生まれで、前年の3月に日露戦争は終わっています。戦争体験をしていません。平和な時代にいればこそ、創作活動に専念できるものですね。作品の量はハンパではありません。

彼は、家族や友人を大切にしており、創作に情熱を傾けて全力疾走された方のようです。社会的公平さを求めて行動的で、農民の味方で、そのための苦労をいとわず、常に弱者や苦しんでいる人々の側に立ちました。

立身出世は求めず、先進的で、理想を追い求めて、力の限りに働いた立派な人物でした。そんな日本人が存在したことだけで、もう私はハッピーな気分になっている。
 

拍手[5回]

PR
前回まで、宮沢賢治のエニアタイプをタイプ2だと絞っていますが、その人となりをもう少し紹介したいと思います。なお、太っ腹で、神経質とは言えず怖がりなところがあまり見られず、ウイングは1と考えられますが、1は重くはないようです。

①初対面の感じでは、おだかやな、おとなしい人というようにみえました。p53
②キノコ取りでは腕自慢の私が、宮沢さんには負けるのです。科学的なキノコ取りなんで、私はカブトを脱ぎました。p54③宮沢さんの女の人に対しての態度などですが、「良く女の人が訪ねて来ますが、私にはその女のひとの気持がよく分かります。三文小説のようですよ」と笑っていました。p55

①「おだかやな、おとなしい人」という言い方はよくされていますが、第一印象など当てにできません。むろん、タイプも絞れません。
②キノコ取りが抜群にうまかったようですが、これはお母さん気質の人たちによくある傾向です。生まれながらに食材調達という役割を持っていると思うくらいに、こういうことでは熱心になるのがタイプ2です。

余談ですが、10年くらい前になりますが、友人たちからキノコ獲りに誘われたことがあります。で、直前になって近眼なのにメガネを忘れたことに気づき、これでは獲れないと思いました。ところが、なんとしたことか獲った量は私が一番多かったこのです。教えてもらって一つ二つ見つけたら、それからは背景からキノコが急に浮かび上がって見えるのでした。たぶん、食いしん坊だからなのでしょうね。友人たちにそのようにからかわれました。

③は、三文小説のようによくわかるという意味なのでしょうか。よくわかりませんが、その人が自分と同じタイプであれば当たりますが、タイプが違えば、その人の気持ちなどまるで分らないのだということを、当然ながら宮沢賢治も知らないようです。

というか、「私にはその女のひとの気持がよく分かります」と断定できるなど、ちょっと厚かましいと考えざるを得ないところです。ビックリしました。こんな男性だとは思ってもみませんでしたね。(笑い) また、賢さんは家族からは謙虚だと思われていた。が、家族もどうやら同じタイプ2らしいのです。

お、タイプ4であれば、少しはわかっていたとしても、謙虚からなのか、間違いたくないためなのか、慎重な気質からなのか、「わからない」と答える傾向があります。

④同僚の奥寺さんが結核で入院した時、宮沢さんは土日にかけて毎週のように見舞いに行くのです。80円もらう給料のうち30円を送ります。奥寺さんは宮沢さんがナゼ自分にこんなに親切にしてくれるのかと疑いを持った。p56
⑤農民の味方する賢治。「町のひとたちが、農村をバカにしているのは怪しからん」と言い、糞尿をくまないで、街の人たちを困らせてやれ」と口にした…。p56
⑥高等農林学校の生徒の時、ある宮さんを迎えるのに、学校当局は武装して盛岡駅に出る予定だったが、宮沢さんはそれに反対し、なぜ武装して出迎えるのかと問い詰めた。学校当局をすっかりてこずらせたが、結局武装で出迎える事になり、宮沢は出迎に出なかった。p57

④世話焼き度が凄いです。太っ腹とも言えます。お節介だと言えるくらいです。でも、こんな言い方をしたらファンから何か言われるかも…。もうタイプ2w1しか考えられません。でも、タイプ2w1がみなお節介にはならない。が、お節介がすぎればこのタイプです。

⑤過激なことを言うんですね。明治期くらいはまだ農民たちが町人の糞尿を汲んでそれを肥料にしていたので、ときに困らせる方法として考えられたのでしょうね。

⑥宮家の誰かが来ると駅まで出迎える、しかも武装でというのが当時の習わしだったようです。しかし、それに反対の声を出すなど、かなりの勇気のいることです。大胆すぎるというか。こんなに激しい気質だったとは作品などからは予想できないものですね。

さて、このようなエピソードを先に知ればタイプ誤認もしないでいられたのに、と、なにか言い訳したい気持ちになっています。(ノω<;)

拍手[6回]

『宮沢賢治の肖像』(津軽書房)には、賢治のお母さんから聞いたこととか、賢治の妹や弟から聞いたことなどが収録されています。著者は「森荘己池」で、賢治と深い親交があった方のようです。

その他、著者の森さんは、賢治の友人や同級生とか、教師だった賢治のことを、生徒からどのように見えていたのかを取材して書きまとめています。

ただし、この人の目を通してのものゆえ、なにかと判断が難しいと言えます。当会ではできるだけエピソードを取り上げるのですが、この著書はかなりの量でエピソードも長いものばかりで、難渋しておりました。

仕方なく、特長がよく出ていると思われるところだけを抜粋してみました。

①賢治の授業は、教科書とはあまりかかわりなく、実に自由自在で内容が豊富だった。p27

②何かあり、賢治が強いきびしい声で名前を呼ぶと、生徒はその場で釘づけされたように直立不動の形で立っているのが普通であった。p28

③賢治はユーモラスな性格を持っているが、ニガ虫を集めてかみしめたような顔をしている賢治の父にとって、賢治はとめどなくふざける性質らしいのが頭痛のタネであつた。p28

からはタイプ4の可能性が低くなります。現代とは違い自由度があまりなかったようで、教科に従う教師が圧倒的ですから、原則的で硬くなりがちな傾向のある「優等生気質」であれば、このようにはなりにくいと考えられます。
②からは、攻撃的な気質だと考えられ、攻撃タイプ(825)から探します。

③ふざけるにしても、とめどなくとか、父親の悩みのタネとまで誇張されているのかどうかわかりませんが、ふざけるのが少ないとは言えそうもないとみます。きつい気質だ考えざるを得ません。タイプ2だという核心的な情報に入れられます。他の攻撃タイプ(85)がしばしばふざけるなどは、あり得ないことだと考えます。

賢治はできるならば農村劇団を組織したいと考えているらしかった。ある人物(劇に出演)が賢治のもとに来たときに、賢治はその人に、「小作人になりなさい。農民劇をやりなさい」と勧めた。p32

⑤賢治は、「植物医師」という喜劇を上演して喝采を浴びますが、その劇の主人公役をした人物に向かって、「君は立派なよい役者になれるだろう。東京の劇団に紹介しよう。行ってみないか」p44

⑥賢治は農民劇の後30人以上の生徒や関係者を自宅に招いた。p50

④タイプ4は受け身な気質で、他人に対して、たとえ生徒であっても、他人の人生の重大事にかかわることはあまり考えられません。なにかをすすめるなどほとんど考えられないところです。

⑤も同様です。⑥自宅は大邸宅のようですが、家長でもないのに、そのように家族や大勢の人間を巻き込むような主導的な立場に立つことは、タイプ2(お母さん気質)とタイプ8(お父さん気質)でしか考えられないものです。


賢治はどうも映画や演劇への情熱が強い人のようで脚本も書いています。人との関わり方で、熱心な指導とか助言、励ましなどもして積極性があります。

人に近づくタイプ2w1だという核心的なエピソードが、今回は幾つもありました。

いやはや、これを知るまではずっとタイプ4ではないかと思っていたのですから…、なにをいわんやって感じです。

恥ずかしながら、たくさんの情報を把握しないと、私のようなタイプ誤認を犯すかもしれないと、みなさまに切に切にお伝えしたいところです(汗)。

拍手[6回]

宮沢賢治のエニアタイプを探していますが、ウッキペディアに載っている情報だけでは、一つのタイプに絞れないみたいです。

でも、とりあえず、二つのタイプのどちらかのようです。それを、これまで取り上げた物を整理してみました。

(タイプ2から探す)…6か所

・関心が広く、趣味が多いのはタイプ2によくあります。
・信仰している宗教を親しい友人に強く勧めるとは、タイプ2w1から探すようなところです。
・宮沢賢治さんの交友関係は多彩のようです。人に積極的に近づいていく傾向のあるタイプ2から探すようなところです。
・賢治さんは宗教活動にも積極的ですが、社会的な活動をいろいろ試みており、遊園地の花壇をデザインするなど、多方面に能力を発揮しているようです。これもタイプ2w1から探すような情報。
・農学校教師時代、生徒をそばやに連れ出した。これもタイプ2から探すところです
・罰として、水を満杯にした湯呑を持って立たされていた生徒を見かねた賢治は、辛かろうと言ってその場で水を飲み干してしまった。人助けしているみたいです。タイプ2から探すところです。

防御タイプ(174)らしく見えない)…1か所
・菜食主義者らしいのに肉食もしていたらしいので、どちらかというと超真面目で律儀な防御タイプ(174)らしく見えないところです。

(タイプ4から探す)…3か所

・父親から進学に反対された賢さんは、その精気のなさから進学を許可された。「精気のなさ」がよほどのことだった。年少型から探しますが、なかでもタイプ4の可能性が高いところです。
・賢治は、いったん完成した作品でも徹底して手を加えて他の作品に改作することが珍しくなかった。
ここはタイプ4から探すところです。完璧主義的なタイプ(174)
・美味しい食べ物には、相好をくずす、大ニコニコするとは子どもらしいところで、子どもタイプ(17463)から探すところです。とくにタイプ4が露骨に出す傾向があります。

ここからわかることは、タイプ2の可能性のほうが高いということですが、その差が広くなければ「一つのタイプに絞らない」というのが当会の判定の仕方です。人の脳はみな同じ構造をしており、思考だけでなく感情や感覚もみな似通っています。

たとえば、羞恥心というものを全く持っていないという人間などいません。羞恥心が「かなり強い・普通・少ない」という3つくらいに分けられるだけです。それゆえ、或る人の羞恥心が、この3つのどれに該当するのかを探るためには幾つものエピソードを把握する必要があります。

つまり、タイプを間違うということは、少ない情報から判定しているからであり、たくさんの情報を把握したら、いずれ正しいタイプを見つけ出せるのです。


次回からは、古い書籍ですが、『宮沢賢治の肖像』(津軽書房)が見つかったので、それに沿ってタイプ判定の作業を続けていこうと思っております。

拍手[5回]

引き続き、以下のウィキペディアにある情報(青字)を元に、宮沢賢治のエニアタイプを探す試みをしています。ここを読む貴方も、青字の後の文章を読まずに、あなたなりに探ってみませんか?

★宮沢賢治http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%B2%A2%E8%B3%A2%E6%B2%BB

菜食主義として伝わる…略…肉食の体験があったことが窺知できる

菜食主義者らしいのに肉食もしていたらしいので、どちらかというと超真面目で律儀な防御タイプ(174)らしく見えないところです。徹底した菜食主義者になりやすいのが防御タイプにある傾向です。

ただし、食欲というものは人それぞれで、一般的に美味しいものへの誘惑には弱いのは誰にでもありますから、ここでもタイプは絞りません。

農学校教師時代、生徒をそばやに連れ出した。

教師が生徒を誘ってそばを食べる。これもタイプ2から探すところです。お母さん気質であれば、生徒は子どもですから誘う可能性大です。生徒と親しくなりにくいのはタイプ4によくみられるものです。末っ子気質ゆえ、生徒にタイプ2などがいたら、自分より大人に見えてしまい、教師という立場で付き合うのができにくくなると考えられます。

尋常小学校時代、罰として、水を満杯にした湯呑を持って立たされていた生徒を見かねた賢治は、辛かろうと言ってその場で水を飲み干してしまった。

人助けしているみたいです。タイプ2から探すところです。調和タイプ(369)の可能性は低い。罰を受けている生徒を助けるのは憚れる、と考える気質が調和タイプで、越権行為をしにくい人たちです。なお、同情心が強いとしたら、タイプ4のほうが有力です。しかし、それで行動に移すことは少ないのがタイプ4です。行動的になりにくいのがこちら、タイプ4です。

1919年、日本女子大学校生の妹トシが病気となり母とともに東京で看病する。

母親とともに妹を看病するなど「男性を強く意識するタイプ(261)」にはあまり考えられないものです。男女の壁は現在より大きく、男が看病をすることは少し引くところです。しかし、他の書物によると宮沢家の家族愛は強そうです。そうなれば全タイプが該当します。また、母親が主に付き添い、母親が息子を使って用事を済ませるというものであれば、261でも看病するでしょう。

妹トシ(とし子)をこよなく愛し、彼女が亡くなったとき(1922)は、押入れに顔を入れて「とし子、とし子」と号泣した。亡骸の乱れた髪を火箸で梳いた。

それほど妹への愛が強いとは、「男性を強く意識するタイプ(261)」にはあまり考えられないものですが、たまたま気の合う妹で兄からみても愛らしいのであれば、261の可能性も調和タイプ(369)の可能性もあります。

1916年春、寮の親睦会で寸劇が企画され室長であった賢治は「全知の神ダークネス」役を演じた。その迫真の演技は評判となり、しばらくからかいの対象となった。

賢治20歳の頃のことですが、親睦会ごときで迫真の演技とは、TPOを考慮して一般的常識的な行動をとりやすい調和タイプ(369)の可能性が低いところです。ちなみに、役に没頭しやすいとしたら、感情タイプ(234)から探すところで、タイプ3は除外します。

さて、
残るはタイプ2とタイプ4です。なんとしたことか、今回も二つのタイプが残ってしまいました。「調和タイプの可能性が低い」が幾度も出てきましたから、もはや、調和タイプは排除できそうです。つづく

拍手[4回]

引き続き、以下のウィキペディアにある情報(青字)を元に、宮沢賢治のエニアタイプを探す試みをしています。ここを読む貴方も、青字の後の文章を読まずに、あなたなりに探ってみませんか?

★宮沢賢治http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%B2%A2%E8%B3%A2%E6%B2%BB

盛岡高等農林学校在籍時に出会った一年後輩の保阪嘉内との間で、互いに「恋人」と呼び合うような親しい間柄になり、嘉内に宛てた書簡類では、親密な感情の表出、率直な心情の吐露が認められ、手紙に記された文面はときにあたかも恋人に宛てたような表現になった。

後輩の男性と親しくなり「恋人」と呼び合ったとか。賢治さんは生涯独身でしたから同性愛者の可能性もあるような記事です。現在ならば、さほど差別されることではないが、あの当時なら隠すような関係です。

書簡が他に漏れる可能性はなかつたのかと思うのですが、仮に、そうであるなら用心深くないと考えられて、タイプ2から探すところです。しかし、そうとは言えないかもしれないので、ここではタイプを絞れません。

なお、タイプ2にとって、世界は肯定的なところであり、攻撃的な気質で他人を信用しやすい、全タイプ中で用心深いところが最も少なく大胆になりやすい傾向があるタイプです。
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/static/theory2.htm


ウナギを食べたりするときは相好をくずした。ソバが五銭のころの五十銭の鰻丼で、いつも大ニコニコ顔で、食べていました」

賢さんはどうやら食べるの大好きみたいです。金持ちのボンボンでしたからソバの10倍もする高価な鰻丼が食べられる身分のようです。相好をくずす、大ニコニコするとは子どもらしいところで、子どもタイプ(17463)から探すところです。とくにタイプ4が露骨に出す傾向があります。

なお、タイプ4の受講生と、ある店でマズ~イうどんを食べたことがあります。彼女は少しつまんだだけで後はうどんを箸でブツブツ切って遊びだしました。ふてくされた感じです。辛抱して何食わぬ顔して最後まで食べたのは私と同じタイプの女性でした。タイプ4にとって、マズイとうまいじゃ、まるで違うみたいです。

濃い顔の男優として知られる北村一輝さんのエピソードとして知られているものは傑作です。マズイうどんを食べて、「あまりにまずい、食えない、支払えない」となり、警察沙汰になったみたいです。

北村さんをタイプ4と判定しています。「徹子の部屋」か何かで語っていたかと思うのですが、海賊映画を観て、海賊を志すようになり、商船学校に入ったが、そこで海賊にはなれないと気付いたというものです。たぶん、これほどであれば4w4でしょう。

調べたら、なんとウィキに載っていました。マジ?と言いたくなるほど子どもっぽいところがあるイケメンです。
 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%91%E4%B8%80%E8%BC%9D

少しそれますが、数年前、豊川稲荷に行った折に、美味しいと評判の蕎麦○○の地図を見ておきましたが、それが見つからなかったことがあります。

で、お腹は減るしで仕方なくある蕎麦屋に友人3人と入りました。食べ終えてから店員さんに、「この近くに美味しい○○というソバ屋を知りませんか?」と、私は尋ねてしまいました()

それを聞いた友人のひとりが、どうもあたふた目が泳いでいたような…。で、「ここの蕎麦もおいしいよねえ」とフォローしていました。友人たちは気まずい様子。

あれからずっとこの話題でみんなを喜ばせております。蕎麦屋に入って、他のおいしい蕎麦屋を尋ねるなんて、どういう了見なのだ!って感じです。

やはり次男気質が出ているようです。でも、常識人のタイプ3ならばあり得ないことなのですが。今回はこれくらいにします。続きをお楽しみに!


拍手[6回]

当ブログ、今年はエニアに重点を置いて行こうと思っております。私の代わりになってくれる人はいない、唯一無二の心理学「エニアグラム性格学」です。

これを発展させられるかどうかは、ひとえに私自身にかかっています。決意も新たにしています。どうか、今年もよろしくお願い致します。

引き続き、以下のウィキペディアにある情報(青字)を元に、宮沢賢治のエニアタイプを探す試みをしています。ここを読む貴方も同時にトライしてみませんか?

★宮沢賢治http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%B2%A2%E8%B3%A2%E6%B2%BB

1
925年(大正14年)、7月から草野心平と書簡を通じた親交を開始。

宮沢賢治さんの交友関係は多彩のようです。人に積極的に近づいていく傾向のあるタイプ2から探すようなところです。

ちなみに、ずっと以前のテレビ番組で、長く引きこもっている人を取り上げて取材したものがありましたが、ほとんどタイプ2w1と判定できる人たちばかりにみえました。引きこもっていても、テレビの取材には応じられるのだと驚いたものです。

1927年 羅須地人協会の活動に関して警察の聴取を受けたことから協会の活動を停止。花巻温泉に勤めていた教え子を通して、温泉の遊園地に自らがデザインした花壇を造成する。

賢治さんは宗教活動にも積極的ですが、社会的な活動をいろいろ試みており、遊園地の花壇をデザインするなど、多方面に能力を発揮しているようです。

これもタイプ2w1から探すような情報で、多彩で多趣味になりやすい気質です。尤も、他のタイプの可能性が無いというわけではありません。「探す」と書いているので、誤解しないでくださいね。

1931年東北砕石工場技師となる。宣伝販売を担当。9月、農閑期の商品として壁材のセールスに出向いた東京で病に倒れる。

助教授になることは拒否しましたが、「石っこ賢さん」らしく砕石場の技師になることは嫌ではなかったようです。しかし、セールスの仕事までしたとは意外です。作品などからは、ひきこもりになりやすく、世渡りが下手だというイメージがあったのですが、そうではなかったみたいです。

童話作品においては擬声語(オノマトペ)を多用し、賢治の作品には世界主義的な雰囲気がある。

作品において擬声語(オノマトペ)を多用するとしたら、タイプ4に多いのではと思っています。ただし、ここは根拠が薄いので、これでは判断できません。

なお、野モヨコさん(タイプ2w1)のマンガ作品『監督不行届』では、夫であるマンガ家の庵野英明さん(4w5)との夫婦生活を描いていますが、擬声語はしばしば出てきます。夫の安野監督がよく使うみたいです。

他のタイプ4の作品にも見つかっていますが長くなるので省きます。ただし、タイプ2w1の作品にも見かけているものですからね。
 
「世界主義的な雰囲気」とは、たとえば、架空の理想郷として「イーハトーブ」と名付けており、その森に暮らすキコリの息子が「グスコーブドリ」です。岩手のとある海岸を「イギリス海岸」と名付けたり…。

タイピングやエスペラント語を学び、オルガンやセロを習うなど、外国への強い憧れを持っているかに見えます。たとえば、キコリの一太郎などとは名づけず、三味線を習う気は全く無さそうです。西洋かぶれと言ったらファンの方からお叱りを受けるかもしれませんね。

また、作品の多くを知ると、ナショナリストとは言えません。私自身のことを言えば、私もナショナリストとは言えませんが、外国への憧れはほとんどありません。

少し外れますが、タイプ4の受講生が遊びに我が家を訪れることがありますが、ピザ好みの人が多いので、ピザを用意すると大喜びされたりします。

和食好みは少なく、饅頭よりもケーキ好きです。食の好みが世界主義的()なところが、なんとも面白いところです。

賢治は、いったん完成した作品でも徹底して手を加えて他の作品に改作することが珍しくなかった。

ここはタイプ4から探すところです。幾度も繰り返し推敲する傾向があります。完璧主義的な傾向がクッキリと見えるタイプです。完ぺき主義的になりやすいのは、防御タイプ(174)から探します。http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/static/theory7.htm

このように、タイプ2とタイプ4の二つのタイプがよく出てきます。早く一つに絞りたいのですが早まってはいけません。間違いの元です
()。つづく

拍手[7回]

ウィキペディアにある以下の情報(青字)を元に、宮沢賢治のエニアタイプを探す試みをしています。
★宮沢賢治 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%B2%A2%E8%B3%A2%E6%B2%BB

中学校を卒業、肥厚性鼻炎を患い入院。この時、看護婦に恋心を抱くが片想いに終わる。

恋心を抱けば告白する可能性が高いのがタイプ2です。女性という存在には緊張しにくく、軽んじる傾向さえありますから、告白しやすいと考えられます。その他はタイプ1とタイプ6です。「男性を強く意識するタイプ(261)」によくある傾向です。
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/static/theory5.htm

この3つのタイプの中で人との関係で積極的になりやすいのはタイプ2ですから。何も言えないとしたら、全てのタイプにあり得るものですから、ここでもタイプは絞れません。

その生気の無い様子を憂慮した両親が上級学校への進学を許可する。

父親は進学に反対していたのに、息子の精気のない様子を見て、進学を許可しています。「精気のなさ」がよほどのことだったのでしょう。年少型から探しますが、なかでもタイプ4の可能性が高いところです。

タイプ4は末っ子気質といい、子どもみたいに溌剌として活気に溢れる時と、精気が全くなく死にそうというか消えそうに見える時などアップダウンが激しい気質です。

その反対なのが祖父祖母タイプで、年寄りタイプ(5.9)はいつも淡々としており感情的に見えません。

なお、あまりの落ち込みようを見て、譲歩してしまうとしたら、タイプ4の情報にはよく出てくるものです。しかし、他のタイプにもあり得ることですから、ここではタイプを絞りません。
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/static/theory7.htm

ただし、タイプ2だとしたら、ファザコンタイプですから父親に過剰反応しますから、父親が進学を許さなかったのであれば父に反抗的になり、ふてくされたりなどします。「精気がない」という様子はあまり考えられません。

攻撃タイプ(825)の可能性は低いところです。調和タイプ(369)では、タイプ3とタイプ6の可能性があります。

同時期に、『漢和対照妙法蓮華経』を読み、体が震えるほどの感銘を受ける。

経典を読んで、体が震えるほどの感銘を受けるとは、読解力の優れた方と考えられます。また、感情的になりやすい、イメージ力も高いと考えられ、感情タイプ(234)から探してもよいかもしれませんが、このような類では判断できにくいものです。
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/static/theory2.htm


1920年、研究生を卒業。関教授からの助教授推薦の話を辞退。自宅で店番をしながら、信仰や職業をめぐって父と口論する日々が続く。24歳頃

賢さんは1896年生まれですから、23歳になっています。自立しなくてはならない時期で、助教授になれるかもしれないのに辞退しています。父親はイライラしていたのではないかと思います。

このような時期は親子が最もぶつかりやすいと考えられるので、反抗的な息子だと考えることはできません。誰にでもあり得ます。ただ、助教授になりたがるのが一般的だとしたら、一般的な道を選ぶ人ではなかったようです。タイプも絞れませんが、調和タイプ(369)の可能性は低いように見られます。

保阪嘉内には国柱会の入信を手紙で強く勧めたが決裂。

信仰している宗教を親しい友人に強く勧めるとは、タイプ2w1から探すようなところです。

人間関係では最も積極的になりやすいのが、お母さん気質のタイプ2w1で、末っ子気質のタイプ4は消極的になりやすい傾向があります。

タイプ2にとって世界は肯定的なところで、協力し合える、他人を助けたがる、善い人間に思われたいという気質です。一方、タイプ4にとっては世界は肯定的でもなく否定的なところでもなく、どちらとも言えないところです。
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/static/theory1.htm

タイプ4は、人は協力しあえるのか、助けてよいのか、自分は何者なのかと、あれこれ迷うことが多い気質です。であれば、友人に入信を強く勧めるなどあまり考えられないものです。ただし、そこが宗教の怖さというか、狂信的になることは誰にもあり得ることです。

尤も、タイプ5やタイプ8が狂信的になるなど考えられません。タイプ5は誰も信じないでロジックに生きる人で、タイプ8は自身が神だというような傲慢不遜な気質ですから。

調和タイプ(369)も友人に入信を勧めることはあると思いますが、友情が決裂するほど熱心になるとはあまり考えられません。こちらタイプ1とタイプ7にもその傾向はあります。

なお、手の内を明かすならば、以前、私自身は賢さんをタイプ4w5ではないかと思っており、現在もこのタイプの可能性は高いと思っています。

しかし、このように、数々あるエピソードからは、タイプ2w1だと考えられるようなものがしばしば出てきます。かなりの量を調べたのに、どのタイプなのか判断できませんでした。

そのために、こうして公開しながら、少しずつ明らかにしていこうと考えました。無謀な試みかもしれません。でも、そうでもしないと私の心の収まりどころが悪くて…、どうぞご理解ください。(続く)

拍手[5回]

昨年の夏、花巻空港で降り、レンタカーを借りて、岩手県を周遊するという旅をしています。なお、花巻市は、宮沢賢治一色で染め上げられたように見えるくらいで、詩人の力はスゴイと感じ入りました。

賢治さんのエニアタイプを知りたい! とずっと思い続けていたので、花巻でタイプがわかる情報を探していました。でも、この旅では得られないままでした。

この人の作品の数も多すぎて、やる気が萎えてしまうほどです。なお、タイプを絞るための一番に安易な方法として利用しているのはウィキペディアです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%B2%A2%E8%B3%A2%E6%B2%BB

上記に載っている情報(青字)を、上段から取り上げて、少しずつタイプを絞りこんで行こうと思います。皆さまとともにタイプを探すって感じでトライしますから、青字の部分を読んだら、その下の私の文は読まないで、あなたなりに根拠も考えてタイプを絞り込んでみてはどうでしょうか?

尋常小学校に通う頃に、マロの『家なき子』などの童話を好み、石や昆虫を採集し、綴り方に長じていた。鉱物採集に熱中し、家人から「石っこ賢さん」や「石こ賢さん」などと呼ばれた。

さて、一応、マロの『家なき子』を読んでみましたが、上品な作品でしたが、あきらかにタイプ2w1とわかるハッピーエンドもので、世界は肯定的だという世界観のあるものでした。

子どもが好みそうなものと言えます。むろん、タイプ判定には使えません。次に、「呼ばれ方」やあだ名や愛称などというものは、気質を表すことがよくあります。以下で取り上げています。
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-401~/15-407.htm

http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-401~/15-409.htm 

この場合、愛らしい呼び方とは言えません。子どもタイプ(17463)では無さそうに見えますが、そうとは限りません。賢治さんは長男ですから、「賢さん」と呼ばれたのかもしれません。



http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/static/theory7.htm

学力優秀であったようなので、賢さなどからそのような呼び方をされたとも考えられます。ここはタイプ判断には使えません。そして、「石」に対する執着は終生あったみたいですが、執着度が半端ではなさそうです。調和タイプ(369)の可能性は低そうにみえるところです。
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/static/theory2.htm

ちなみに、調和タイプ(369)は多勢に流されやすい、人の意見に左右されやすい、変人とか奇異に見られたがらない。固執したり執拗になりにくいという傾向があり、執着度も一般的というか、「普通」って感じになりやすい傾向があります。

なお、「石」への関心が強いのは、タイプ5かタイプ4w5の人に多いのではないか、と私はかつて妄想しておりました。現在も続いていますが。

二人の男性が石好みで、判定したらタイプ4w5だったという事実があります。しかし、この数では到底受け入れられるものではありません。

ただ、有史以前の石器時代や縄文期に、石という武器・道具は重要なもので、狩りなどに参加したがらない年寄りタイプ(タイプ5はおじいさん気質)や、怖がりな気質(防御タイプ714は怖がり度が大)であれば、石探しや石加工のほうに関心が行くのではないか、などという、かなりおかしな妄想なのですが…。とはいえ、冷静に考えてみたら、タイプ判定には使えないものです。

ですが、以前にも書いていますが、以下の昔話にあるように、桃太郎さんがタイプ8で、桃太郎を育てたおばあさん(タイプ9)は川へ洗濯に行っています。おじいさん(タイプ5)は山に柴刈りに行く人です。
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-201~/15-222.htm

タイプ9には洗濯遺伝子が備わっていると考えると、その行動がよく理解できます。タイプ5は散歩しながら何かを探したり採集するみたいです。柴刈りみたいなものです。合理的で実利的な気質だと言えます。以下の文からも、その傾向は見られます。
タイプ5の父親
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-101~/15-130.htm

ですから…、昔から延々と続いた生活形態と役割が、気質として遺伝子に組み込まれている可能性がある、と、想像できることが面白く楽しくしんでいるにすぎないのですが。

盛岡中学校在学中にも鉱物採集に熱中。「HELP」のあだ名がつく。水晶を採集する。哲学書を愛読。在学中に短歌の創作を始める

あだ名の由来が書いてないので、判定材料とはなりません。賢さんは石への関心だけでなく、哲学書を愛読して短歌の創作をしており、多彩で多方面に興味と関心が行く人のようです。

関心が広く、趣味が多いのはタイプ2によくありますが、一つのことへの執着度はタイプ4によく見かけます。

家庭の方針で進学の見込みがほぼなかったためか、教師への反抗的態度をみせ、1913年(大正2年)、寄宿舎の新舎監排訴の動きにより退寮となり、盛岡の寺院に下宿する。

「進学への見込みがなかった」ことと、「教師への反抗的態度」ですが、これだけでは繋がりません。なにか他の要因があったのかもしれませんが、それが書いてありません。

ただし、教師への反抗的態度があるとしたら、真っ先にタイプ2w1から探しますが、むろん、ここでは判断できません。

さて、こんなふうに、結論がどうなるのか私自身にもわからないまま書き出しています。どうやら長丁場になりそうで、うまく続けられるのかわかりませんが、来年にかけてノンビリ進めていこうと思っております。(つづく)


 

拍手[3回]



映画は、楳図の自伝的ストーリーで、片岡演じる漫画家・楳図の亡き母の怨念が恐怖を巻き起こしていく様子を描く。

真行寺君枝が、母イチエ。
宝塚歌劇団の元雪組トップ娘役だった舞羽美海が、編集者役を演じる。ほか、楳図作品の大ファンを公言する中川翔子が友情出演し、主題歌を担当する。

映画『マザー』の公式サイトhttp://mother-movie.jp/

予告編では、若き編集者から、生い立ちを本にしたいと取材を依頼された楳図が、「幽霊でもいいから母に会いたかった」と、母の死と自らの過去を振り返る。

漫画家の妄想とも現実ともつかない世界で、恐ろしい形相で襲い掛かる母イチエの狂気と愛、イチエの姿に翻ろうされる人々の恐怖を切り取った。


ホラー映画には全く興味が持てないので、一度も観に行ったことはありません。「恐怖マンガ」と呼ばれていた楳図マンガも、ほとんど見たことがありません。

しかし、数年前から仕事の必要性から読むようになったのですが、作品の中にはなにか深い意味合いが込められていて、考えさせられるものがありました。
『漂流教室』『まことちゃん』『わたしは真悟』などです。

ところで、楳図かずおさんのエニアタイプは、タイプ7w6と判定しています。タイプ7はいわゆるマザコンタイプですから、母親に対して過剰反応しやすく、複雑な心理状態になりやすいタイプです。

母親の存在が大きいタイプですから、母親が時に恐ろしい存在にもなり、母親から支配されやすい、翻弄されやすい傾向があります。

なお、これに関するエニアグラム性格学の理論は以下に掲載しています。
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/static/theory5.htm
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-1~/15-8.htm
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-1~/15-9.htm
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-1~/15-42.htm


タイプ7は基本的に母親大好き人間ですが、場合によっては母親がうとましくなり、憎しみを持つ人も出てきます。

母親を恋い慕うという傾向も強くあるために、愛憎半ばという相反する思いが強まると、大変に苦しい心理状態になるであろうと想像できます。

人によっては、母親に呪縛されるという恐怖心も体験することがあると考えられます。

たぶん、『マザー』はそんなところを描いている作品ではないかと予想するのですが。
タイプ7w6をより深く知るためには、この映画を見に行くべきだ、と思ってはいるんですが…。

ちなみに、私はマザコンタイプではありませんが、母親が亡くなってしばらくは、夢に母親が出てこないかなあとよく思いました。幽霊でもいいから母親に会いたいなどと、よく思ったものでした。貴方も、そういう気持ちになったことあるのでは?

拍手[5回]

カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
プロフィール
HN:
竜頭 万里子 (りゅうとう まりこ)
性別:
女性
職業:
講師・カウンセラー・ライター
趣味:
読書・散歩
ブログ内検索
カウンター
バーコード
アクセス解析
忍者ブログ [PR]
【 ♥ イラスト提供:Night on the Planet ♥ 】